2020年6月23日

ウンベルト・エーコ(著)橋本勝雄(訳)『プラハの墓地』東京創元社、2016年。

登場人物と書き手を巡る枠構造、歴史の細部にわたる描写と頻繁な脱線など、エーコの十八番の技法が随所に散りばめられているが、流石にちょっとペダンティックの口当たりが強すぎて引っかかるところも。エーコを読んでペダンティックなところがいやだっていうなら読むべきでないという話だが、ちょっと見え見えのオチが引っ張られすぎている感もある。タクシルなど反ユダヤ周りの言説の様子を見ると、なるほど現代のネトウヨ/「リベラル」周りと同じや、という気づきがある。

 

ハン・ガン(著)斎藤真理子(訳)『ギリシャ語の時間』晶文社、2017年。

上村忠男『アガンベン:《ホモ・サケル》の思想』講談社選書メチエ、2020年。

アガンベンの入門書として、かなりすっきりとした見通しを提供してくれている。法権利の内と外というアガンベンの問題意識を理解することで、「いと高き貧しさ」の理解が深まる。

柚木麻子『けむたい後輩』幻冬舎文庫、2013年。

池上俊一『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書、2011年。

「これまでずっとパスタのもっていた母との密接な結びつきが廃れていくのは、マンマの味の思い出を大切にしている人にとってはちょっと寂しいことでしょうし、パスタの魅力のひとつの喪失だとも思われますが、そのときは、別の魅力、別の物語がそこに加わればよいのだと、そう私は考えています。」の一節が印象的。

2020年5月13日

吉本ばなな『哀しい予感』幻冬舎文庫、2016年。

百年の孤独』の次にこの作品を選んだ巡り合わせ。普通になりきれずに解体・再生される家族。「私」は忘れることによって、「おば」は裏庭に捨てることによって壊れてしまった過去を不可視化するという相似形。血縁が、あるいは所与のものとしての幸せや生の形式/vita vel regulaが、ある種の呪縛としてあるということ。それは、都会の野生児としてあらゆる家事を放棄して生きてきた「おば」が、紅茶の葉を種類ごとに瓶詰めすることがやめられないというような切なさで表出している。

2020年5月13日

ジョルジョ・アガンベン『いと高き貧しさ』みすず書房、2014年。

②服部文昭『古代スラヴ語の世界史』白水社、2020年。

③クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ『写本の文化誌:ヨーロッパ中世の文学とメディア』白水社、2017年。

G・ガルシア=マルケス百年の孤独』新潮社、2006年。

 

①難しかった…頭が悪いから思想を消化するのに時間がかかった。訳者の上村忠男がアガンベンの入門書を読んでいるので、そちらを履修してから再挑戦か。vita vel regulaすなわち生と規則の究極の接近が前半で論じられる。そこから、後半では清貧論争が内包していた歴史的新しさについて論じている後半が難解。

②は少し用語の使われ方の怪しさや、ちょっと信じがたい地図の見辛さなどが残念。個人的には後半のスラヴ語研究史ナショナリズムの結び付きについての言及が面白かった。

③本当はもっと早く読んでいなければならなかった本。特に、歴史的に「本」というメディアにおいて誰が主体として振舞っているかという問題に対して、豊富な具体例が示されていてよかった。

④翻訳がすごい。奔流と形容されるにふさわしい時間の圧倒的な流れを体験させる語り。リアリズムの中に巧妙に織り交ぜられる魔術。ただ、とにかく頻出する同じ名前たちが困った。それも計算のうち?

2020年4月9日

あまり本読めなかった

1. 高山博『中世シチリア王国講談社現代新書、2016年

2. 貴志祐介『黒い家』角川ホラー文庫、1997年

3. 森博嗣『全てがFになる』講談社文庫、1998年

4. フェルナンド・ペソアアナーキストの銀行家』彩流社、2019年

5. 安宅和人『イシューからはじめよ』英治出版、2010年

6. 山﨑康司『考える技術・書く技術』ダイヤモンド社、2011年

7. 島岡要『やるべきことが見えてくる研究者の仕事術』羊土社、2009年

8. 竹内純子『エネルギー産業の2050年:Utility3.0へのゲームチェンジ』日本経済新聞出版社、2017年

9. ジェイムズ・ジョイスユリシーズI-IV』集英社文庫ヘリテージシリーズ、2003年

ギリシャ・ラテン・アラブ・ノルマンの混交という中世シチリアの状況については基本的なことは認識していたつもりだが、1.によれば、先行研究はギリシャ語・ラテン語アラビア語の官名の対応関係をきちんと見極められていないため、特に行政制度を過度に複雑なものとして評価している、と。イタリア人学者ならラテン語ギリシャ語は基本教養なので、アラビストが足りていないのかしらん。トリリンガル研究のきつさ。トリリンガルは大体スコラ研究に行くのか。

2.3.ともに面白かった。2. には既視感ありありだが20年以上前にこれをやっているのがすごい。同じく3. で描かれているVRの世界がこの数年でようやく一般人の世界に浸透してきた。予言の精度が高いが、大学の描写やテクノロジー観などに隔世の感。

4. 短編集。第一話と表題作はオチが読めてしまった。「手紙」が良かった。経過観察。

5-8. 余白の多いビジネス本には2時間以上の時間を割いてはいけない。どういう層がこの本を読んでいるかは知らないが、日本語表現のぶっ壊れも観測。必要なエッセンスだけサクサク読めばいいんでしょ。8. は前提が整理されていて入門として良かったが、やっぱり時々日本語の使い方が雑。

9. がこの3ヶ月で読書があまり進まなかった最大の原因。ただ最終章における女性性による切り返し方でそれまで読んできた苦労に報いる構成がお見事。

2020年1月5日

原聖『ケルトの水脈』講談社学術文庫、2016年

「興亡の世界史」シリーズ。オスマン史のものと併せて去年購入したが長いこと積んでいたもの。先日の研究会で「ケルトなるものは存在しないのだから、学位論文では使うな」と言われたという話を受けて思い出し、解凍。考古学的資料の示すガリア・ブリタニア・ヒベルニアそれぞれの文化の相互交流の可能性と独自性、また言語史的な考察から示されるこれらの地域の民族像、そして同時代史料が自称ないし他称として用いる「ケルト」の範囲が全く一定でないという状態。高校世界史で習うような、先史時代にフランスのあたりにいたケルト民族という人たちがゲルマン人に駆逐された、といった把握の仕方には大変問題があるうえ、確かに迂闊には「ケルト人」なると名称も用いられない。ただしこの本、考古学史料の扱いなど、本当にそれでいいのか?みたいな点も散見される。いまだに学界で合意の見られていないテーマでもあるので、少し留保を要するか。

 

ブッツァーティ(作)脇功(訳)『タタール人の砂漠』岩波文庫、2013年

1940年、ブッツァーティ34歳の作。脇先生のあとがきによれば、この作家はネオレアリズモの潮流の中では現実不参加の作家として批判の対象にもなったそうだが、僕の大好きな「神を見た犬」の飄々とした現実描写の妙、というよりは遁走していく季節のもどかしさや老いの悲しみなどが前景化しているように思われる。ただ25歳でまさに人生の時間が遁走し始めている読者の実感が投影されたのかもしれない。あとで読み直すと面白いかもしれない。何れにせよ砂漠という場所に託される人々の幻影と、幕切れの味わいは見事。

 

内田樹『寝ながら学べる構造主義文藝春秋、2001年

やっぱり内田の巧みなレトリックには、頭の中の警報機が鳴りまくってしまうのだが、新書の分量の限界の中でよく練られた良書。ソシュール・バルト・レヴィ=ストロースには馴染みがあったが、それとラカンを接続する思想的俯瞰ができていなかったので、その点非常に有意義だった。またラカンの項で、初めにラカンの文章の難解さを徹底的にくさしておいて、論が進むに従って読者がラカンの引用がある程度自分で読める(気がする)ようになるというのは、教養書としてよく仕組まれているなあ、と感心。